セキュリティについて学び,ついでにHack the boxを取り組んだ.
現在Active machine なのに,YouTubeに解説動画が挙がっている.(1月13日)
とりあえず,私もBackdoorのWalkthroughを書いておこうと思った.
これも参考にしたらいいよ!
ここからは,ネタバレ注意!
続きを読む第二次世界大戦中に発展したレーダ技術は戦後多方面で利用されることになる.大戦中から進められていたテレビジョンの研究はマイクロ波技術を駆使することによって戦後間もなくテレビジョン放送の実用化へと花開く.理由としてディジタル技術・コンピュータ技術の急速な発達による信号処理能力の向上,半導体技術の発展に伴うマイクロ波発振の安定化がある.
マイクロ波とは,3GHzから30GHz,波長にして10cmから1cmのいわゆるセンチ波を指すことが多いが厳密な定義はない.
その後,通信容量増大の要求に伴い使用周波数は次第に高周波に移行する.問題になのは,超高周波無線通信の欠点は通信可能距離に限界があることである.
それを解決したのが,衛星通信と衛星放送である.
続きを読む時代は通信の発展期に移る.
レーダとは,Radio Detection and Ranging の略で対象物からの電波の反射を測定することによって対象物を探知し, その位置を検知することを指す.
レーダの開発が急速に発展した理由は,第一次世界大戦までの複葉機に代わって,ドイツ爆撃機Ju88のような航行距離が長く高高度を飛行する金属製の単葉機が爆撃機として利用されたからである.
1922年に米国海軍研究所(Naval Research Laboratory)が無線通信の実験中,近くを通過する船によって電波が乱されることから障害物探知の可能性に気が付く.1925年にはブライト(G.Breit)とチューブ(M.A Tuve)がパルスレーダを使って電離層の高度を計測する.電離層に向けて発射されたパルスが航空機や鳥の群れによって反射され受信されたことから,物体検知の研究が始まる.
1937年に米国シグナルコー研究所は対航空機地上レーダSCR-268を開発した.最長探知距離は37kmであった.1939年にはドイツで直径3mのパラボラアンテナを使った
(Wrzburg)レーダが開発された.最長探知距離は40kmでアメリカを上回る技術であった.]
当時同盟国であった日本はウルツブルグレーダの導入を決めて困難の末に1944図面を持ち帰った.そのあとに国産化に成功するが,実践で成果を挙げる機会を得ることなく終戦を迎える.
無線技術の進歩は目を見張るものがあり,ハイテク社会,高度情報社会の真っ只中で私たちは毎日生きている.
通信・電信技術は,科学,工学にとどまらず宇宙工学,ロボット工学の分野においても技術革新の中心的な役割を果たしてきた.
特に近年,なくてはならない物として携帯電話がある.その携帯電話,モバイルインターネットの普及により無線情報技術大きく躍進を遂げた.けれど,予想できなかったことではない.なぜなら,“トレンド”に従っただけである.世の中にはもともと大小様々な傾向や変化が存在している.私たちはこれを事象と呼ぶ.制度改革や新しい発見,発明,技術革新などで新たに生じたり消えたりする風潮がある一方で,数百年かけて変化するようなゆったりとした流れも存在する.複数の事象の流れが相互に影響しあって生み出される “トレンド” 慣性の高い変化であると私は考える.
電波は周知のとおり,1864年にイギリスの生んだ科学者マクスウェル(James Clerk Maxwell)によって電磁波(電波)の存在を唱えて160年が経つ.
その後のヘルツ(Heinrich Rudolph Hertz)からアンテナの歴史は始まると言ってよい.ヘルツは彼の師ヘルムホルツの勧めによってアカデミーの懸賞論文であったマクスウェルの実験的検証に挑戦した.彼が1888年に初めて火花放電の実験によって電波の存在を証明してから7年が過ぎた1895年に,イタリアのマルコーニ(Guglielmo Marconi)がこの電磁波を通信に利用する.発明当時の到達距離はわずか2km程度だったのが,今や電波は各国の遠距離通信はもちろん,宇宙の彼方への探査衛星などに利用され,驚くべき到達距離に及んでいる.この長距離通信の実現は,使用する周波数帯域の変化というトレンドが影響している.長距離通信用として,安定した伝搬特性を持つ長波の利用から,指向性の向上が容易な短波通信の利用である.
1918年にアメリカで波長200m以下の中短波帯をアマチュアに開放した事をきっかけに,短波が意外にも遠方通信に適していることが発見された.これが短波帯全盛時代のきっかけを作ったのである.現在でも遠洋の船舶通信,国際線航空機用の通信,国際放送及びアマチュア無線に広く利用されている.
このように,19世紀後半から1920年代までは,古典電磁気学の確率と電波の性質の解明がされた時期である.
生徒が興味を持って,算数や理科の勉強に励むかどうかわからないけれど
とりあえず,結果を出してやろうと授業準備を徹底した.
・授業中に実施できる実験,関連のある雑談もした.
・日曜特訓に事務作業を手伝うため参加し,
仕事を済ませた後は,専任の授業を生徒と一緒に受けた.
・宿題のテキストは2周をノルマにし,理解度のチェックも授業前と授業後に行った.
「もっとがんばれ.じゃないと落ちる.受験はもっとしんどいぞ.」
(自分は,子供たちに期待しすぎていたかもしれない.)
その結果は?
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半年間の研修を終えて,やる気に満ち溢れていた時だった.
「先生は,宿題・やり直し・復習をする事を,
あたりまえに行動できていたかもしれません.
しかし,何度注意されても改善できない層は存在します.
そんな子に無理に頑張らせても, 意味はありません.」
と言われた.
そのあとも話が続いたが,実はあまり覚えていない.
”分かりやすい授業 や いいプリントの作成” といった
自分が思う努力が,利益に直結しない場合もある!
それは,理解できた.でも少し気になったんだよなぁ.
これが社会人になるための通過儀礼ですか?
気になることは,他にもあった.
・見込みがない生徒は小テストでいい点を取らせて褒め, 退塾される事を防ぐ事.
・宿題の量が負担に思わないように意識しておく事
何よりも驚きだったのが,
受験当時の自分の成績との比較
それと,塾にある過去のデータから
「この子に○南・東○○は無理だな.」と
かなり早い段階で分かってしまうこと.
(ほんと,「二月の勝者」ってすごいリアルだよなぁ)
「あぁ言ってるが、彼は全然本気じゃないよね」
僕自身、最難関中学を目指したきっかけは「最難関」という言葉からの憧れもあったので気持ちはわかる.
いつか成績があがる未来を期待してしまう.
家庭環境に大きな差があるというのに、
フワフワ状態の小学生全員に現実を意識させるには
やっぱり,無理がある?
(最初の志望校に受かるには相当な努力が必要なのだ!)
しかし,最難関中学に受かる子は4,5年生の段階から成績の特徴が違う.またテストの点以上に,発言と行動が他より賢い.
「周りを蹴落としてでも,
自分だけは絶対に受かってやる
次こそ絶対に負けない」
senbeibj59634hu.hatenablog.com
けれど,私は最後まで彼らを見捨てない.
私の強みは個別化で,個性のある人の方が好きだ.
そして,その人の個性を生かせる.
個人個人の違いに注目するし,本能的に人の性格や動機,考えた,関係の築き方を観察する.
全員が第一志望に合格できなかっとしても,納得して進学してもらいたい.
また,各自が得意なことを十分に発揮できるようになってほしい.
そう考えて,2月まで頑張る.結果はどうなるか